概要
- 1990年代のコンピューターゲーム体験の困難さと学び
- 現代のAIや便利なサービスとの対比
- 挑戦がなくなったことで知識よりも「親しみ」が失われる現象
- 若い世代がこの喪失を感じない理由
- 最後の「難しさを知る世代」としての感傷
失われていく「親しみ」と機械との関係
- 1990年代、 PCゲーム を遊ぶには コンピューターの仕組み理解 が必須
- autoexec.bat の編集や ブートディスク の作成
- 10歳の子供でも 自力で設定 を行う必要
- 機械が「 条件」を突きつけ、ユーザーがそれを 乗り越える 体験
- モデムの 接続音 で通信状態を判断
- ドライブの ジャンパピン 設定や サウンドカードの割り込み番号 の把握
- 機械の「 エッジ」に触れ、 痛み を伴いながら学ぶ
- これらの困難は「 知識」そのものであり、 機械に負けることでしか本当の意味で知ることはできない
便利さと「知る」ことの喪失
- 現代の AIアシスタント やサービスは 摩擦を排除
- 設定ファイルを読ませず、 条件を課さない
- ユーザーの要求に 即座に応じ、失敗すれば謝罪 し再挑戦
- 最も融通の利く存在 として設計されている
- 挑戦されない機械 は「 知る」対象ではなく ただの道具
- 一部では「 スキルの喪失」と語られるが、 知識自体はAIが保持
- マニュアルや仕組み をAIが完璧に記憶・再現
- 「 能力の喪失」ではなく「 親しみの喪失」
親しみと喪失感
- 今後は 機械に依存 しながらも、 親しみを感じない 時代へ
- 1995年の ベージュ色のPC のような「 格闘して知る機械」は消滅
- 依存度は上昇、 親しみは減少、その両方が同時進行
- 若い世代は この喪失を感じない
- 初めから「何でもできる道具」 として受け入れ
- スイッチのような無意識の便利さ への親しみ
- 悲しみはない、 喪失感は我々だけのもの
最後の「知る世代」として
- 私たちは 「難しさによって知る」最後の世代
- モデムの音 を記憶し、 機械に挑まれた体験 を持つ
- 現代のPCは 努力なしにすべてを再現
- 知識や関係性の終焉 を知る最後の人々
- これが私たちの望んだ未来
- 機械はもはや私たちを必要としない
- それこそが私たちの築いたもの