LLMを通したテキスト自体は気にしないんだけど、いわゆる「シグナル対トークン」が高い方がいいかな。人間が話したり書いたりする時に、余計なテキストが思考パターンを面白く示すことがあるから、間違いや無駄な独り言も興味深いことがあるんだよね。もちろん、これはいつもそうとは限らないけど。昔、短いコンテンツに対するオンラインの反応があって、人々が「長文」コンテンツを長さだけで好ましく扱うようになったことがあった。僕は本やニューヨーカーのフィクションセクションを読むのが好きだったけど、そういう「長文」コンテンツの多くは、型にはまった内容のトークン拡張で、あまり楽しめなかった。LLMはこういう長文のトークン拡張をマスターしてるよね。もちろん、みんなが善意でLLMを使っている前提だけど。いつか、LLMが誰かの言っていることを、僕のような人が楽しめるように優雅に表現できるようになるかもしれない。でも、そうなったとしても、これが善意でLLMを通して話している人間なのか、ただ人間を模倣するように設定された機械なのかを見分けるのが難しい。後者は僕にとって望ましくない。なぜなら、そういう機械にアクセスできるから。もしLLMと会話したいなら、簡単に見つけられるし、ここに来る理由じゃないんだよね。十分に洞察力のあるLLMが、特定の方法で僕の思考を促してくれるなら、歓迎するかもしれない。Twitterをやめた後でも、友達の投稿を読むためにまだTwitterに行くことがあるけど、もしその投稿が完全にLLMによるものだと知ったら、役に立つから読んじゃうと思う。0: 確かに、もしどこでも自分が興味のあることだけ話して、興味のないことを全く話さなかったら、興味の空間を分ける必要はないよね。でも、人間の興味のベクトルの違いがそれを不可能にしてる。