いわゆる「テック」企業で働く人たちの無邪気さや自己満足は、監視対象にとって重要なのはデータがどう使われるかだという考え方に表れている。だから、データ収集を行って政府に共有する企業にはオタクの怒りが爆発する一方で、広告主にデータを共有する企業にはオタクの擁護が起こる。つまり、データ収集を正当化するための「理由」を無限に作り出そうとするわけだ。監視対象にとって、データ収集の重要な点はデータがどう使われるかではなく、データが「どう使われる可能性があるか」だ。要するに、データ収集の重要な点は、(a) データが収集されるという事実であって、(b) データが収集された後に何が起こるかではない。さらに、強制力のない「プライバシーポリシー」などのあいまいな安心の言葉にもかかわらず、(b) は企業やそのパートナー以外の人にはほとんど判断できない。仮に、データ収集と監視を支える広告サービスを主な「ビジネス」とする兆ドル規模の企業Aが、広告サービスの販売能力に影響を与える予期しない状況で急落したとする。一方で、政府向けのデータ収集と監視サービスを主なビジネスとする十億ドル規模の企業Bは、ビジネスが上昇している。企業Aは企業Bを買収するか競争することを決める。企業Aが収集したデータを、企業やウォール街が利益と見なす目的で使うことに制限はない。したがって、監視対象にとって重要な問題は(a) であって(b) ではない。企業Bが政府を支援し、企業Aが広告主を支援することに焦点を当てるのは、本質を外すことに過ぎない。一度データが収集されてしまったら、もう手遅れだ。