「好かれることのアイデアは、嫌われることと同じくらい不安を引き起こす」というのは、現実の予測としては間違ってるんだよね。実際に好かれることは全然違うから。考えてみると、これは本当に別のことだし、関わるリスクを過大評価しちゃうし、「人々のアイデア」を作り上げて、実際の人とは違う行動をする存在を想像しちゃう。だから、自分を好いてくれる人々を想像しても自己肯定感は育たないんだよね。想像上の人たちは自分のコントロール下にあるから、実際の人に好かれるのとは「違う」ってわけ。人間の心は、あまりにも社会的なつながりがないと、うまく対処できないみたいで、空白の部分を想像上の存在で埋めようとするけど、それが社会的なニーズを満たすことはできないんだ。自然な部族的な状況から外れると、いろんな変な方法でおかしくなっちゃう。
「自分のストーリーを誰かが見て、そんなことを考えているのはすごく辛い」
この気持ちはすごくよくわかる。私の経験では、これは嫌われることへの恐れ、もっと具体的には他人の反応をコントロールできないことへの恐れなんだ。でも、その恐れが大きすぎて、心はそれを意識的な感情の「視界から外す」ようにしちゃう。自分が悪く思われる可能性にさらされるよりは、誰にも思われない方がマシだと思うようになる。特に、自分を守れない時はね。人間の意地悪や判断にさらされすぎて、優しさや優雅さに触れる機会が少ないと、他人の自分に対する態度を期待しちゃうんじゃないかな。これが、キリスト教の「人を裁かないように」という教えの理由かもしれないね。社会的な心のこの特定の失敗モードを防ぐために。